【シェニール織り】多彩な織物シェニール織りについて
「シェニール織り」は聞いたことはあるけれど、詳しいことはご存じない方も多いはず。
シェニール織りとはどのようにつくられるのか。
1985年ドイツから引き継いだ技術を持つホットマンが、シェニール織りの歴史や作り方など魅力的な世界をお届けします。
シェニール織りの歴史
シェニール織りは、18世紀末頃に英国スコットランドで誕生し、19世紀にドイツなどに広まり発展、完成された技法です。
スコットランドに導入された後、ショールやカーペットとして発展していきました。
シェニール( Chenille )とはフランス語で「毛虫」を意味し、毛羽立った糸を織り込み作られます。
このシェニール糸は、18世紀にフランスで発祥したとされており、シェニール糸をつくるための技術が関係しています。
日本ではモール糸とも呼ばれます。
日本へは明治初期に伝わり高級織物として広く知られてきましたが、機械化が難しいことから生産が一度途絶えました。
シェニール織りができるまで
シェニール織りは、両面に同じ柄が表現され、毛羽だった生地が非常に柔らかく丈夫で吸水性も良いという特徴があります。
最終的な仕上がり図を想定して織られた縞模様の原反を細長くカットし、撚りをかけてモール状にしたものをヨコ糸に使用します。
一度織った布を糸にして再び織るので、再織りとも言います。
柄を合わせながら織人の手で丁寧に織っていくので手間と高い技術が必要となります。
【作り方】
1.モザイク画を作成
当時のドイツでは、専用の方眼紙を使い手作業で指定色ごとに塗り分けデザインを起こしていました。
現在はオリジナルの図案をコンピューターを使って設計しています。
2.縞模様の布を織る
このモザイク画と呼ばれるデザインをもとに、ヨコ方向の色の並びに従って縞模様の布を織ります。
通常の織物では横糸に4 色程度の色糸が使用できますが24 もの色糸を使い、タテ糸の本数が少なく、ざっくりと織り込むことのできる特殊な機械を使います。
3.生地をカットし原糸を作る
織った生地はタテ糸の間を縦方向にカットし、1 本の原糸を作ります。
このカットの工程にも高度な技術を必要とし、タテ糸を軸に均等に裁断していくことで、なめらかで高品質な生地が仕上がります。
次に、原糸に撚りを加えることで糸が開き、シェニール糸が出来上がります。
そして、糸を図柄に従って管に巻く「ワインディング」をおこないます。
4.柄を合わせて織り込む
繊細に柄を合わせながら、1 本1 本丹念に織り込んでいきます。
熟練の職人でも1 日に4m程度しか織れません。
この後、洗い・乾燥を経て生地を安定させて、シェニール生地が完成します。
ホットマンの日本製シェニール織り
1985年ドイツの老舗シェニール企業「アルパロー社」の技術と設備の全てを東京・青梅に移転し「ホットマン シェニール」として現在に至ります。
1972 年11 月、ホットマン1号店を六本木にオープンした際(現在は閉店)、当時の社内製品だけでは物足りなく感じた経営者が、その6年前にヨーロッパ視察で強く印象に残ったアルパロー社のシェニール織を仕入れたいと申し入れ、交渉の結果、熱意が伝わり取引が始まりました。
アルパローの正式名Al-Pa-Loh のAl-Pa は初代社長(Alexander Pachman)のAl-Pa にミュンヘン郊外の地名Loh hof のLoh です。
パックマン社長はドイツ軍の技術将校で、ローホフ駅前のメインストリートは「パックマンストリート」と名が付くほど地元の名士でもありました。
そして第二次世界大戦後、昔からの手づくりの伝統的なシェニール織物を工業化したのでした。
ところが10年後、ドイツのアルパロー社は工場閉鎖となってしまいました。
しかし創業者の志を消したくないとの想いから、東京都青梅市にあるホットマンの工場に設備を引き継ぐことになったのです。
それから現在に至るまで、様々な工夫と改良を重ねて高い品質を保ってきました。
ホットマン シェニールにおける歴史
- 1945 年 ミュンヘン郊外のLOHOF でアルパロー社が創業
- 1962 年 ドイツで芸術品のような華やかな織りに出会う
- 1973 年 ホットマン六本木店にて輸入販売を開始
- 1984 年 10月に創業者アレキサンダー・パックマンの想いを受け継ぎ、事業継承契約
- 1985 年 3月にアルパロブランドと施設のすべてを青梅に移転し今日に至る
ホットマン シェニールコレクション
シェニール織りに使われる糸は、特殊な染料を使い色落ちしにくく美しい発色があり、丈夫で耐久性にも優れています。
多彩な柄はまさに芸術品。
ハンカチやインテリア雑貨、小物、バックなど、手織りならではのあたたかみのある独特な風合いを長くお楽しみいただけます。